最初は「わがまま」で良いんだ。|「考具」 読書感想
今回は加藤 昌治さん著「考具」を読んだことによる気付きや感想を書きたいと思います。
ちなみに読むのは2回目なのですが、同僚さんとこの「考具」の話題になった「完全に忘れてるやん...」とビックリしたので、再読を決めました。
アイデアマンになるための「考えるための道具=考具」として、様々な「考具」の紹介やその活用法についてが書かれています。
結論から言うと、この本は「読んで理解する」というより「必要な『考具』をピックアップする」ための本という感じです。
理由は後述していきます。
アイデアは食材。企画は料理。
実際に「考具」の紹介に入る前に「アイデア・企画とは何か」を説明している章がある。
アイデアと企画は「WHAT(何を)」「HOW(どうする)」で成り立っているのだが、日本ではどうしても「WHAT」に先行してしまうことが多いらしい。
このWHATとHOWは常にセットで考えた方が良い。
「考具」ではこの関係性を「食材」と「料理」で例えていた。
・アイデア = 食材 = WHAT(何を)
・企画 = 料理 = HOW(どうする)
※大型の企画は「コース料理(食材x料理の連続的レイアウト)」
いくら良質な食材があったとしても、料理人、調理方法が変われば出てくる料理はまったく違うものになる。
それだけ「HOW」は「WHAT」と同じくらい大事な存在だ。
故に、企画を成功させたい場合は先にWHATとHOWを明確化する。
「何をどうする」と、企画の実施結果から可視化をすることが重要。
また、新しい企画の全てが常に新しいアイデアで構成されている必要はない。
新しい料理にチャレンジする時も、皆が知っているような「美味しい食材」と「新たな食材」を組み合わせても良い。
もし大規模な企画だとすれば、その大きなコース料理の中には食べる人が馴染みのある料理が一品二品入っていても良い。テンプレの料理があっても良いのだ。
導入にこういった解説があったことや、煮詰まりやすいアイデアへの考え方が気軽なことと思えるようになってきて、良い項目だった。
オズボーンのチェックリスト
個人的に考具で気になったものはこんな感じ。
- カラーバス:その日の"色"を決め、日常の様々なものやコトに"着目"する
- 七色いんこ:手塚治虫作品のキャラのようにキャラを演じきる
- 臨時新聞記者:中学生でもわかるように、しつこく聞く
- マンダラート (1):思考の展開
- オズボーンのチェックリスト:煮詰まった時の打開リスト
- マンダラート (2):展開と収束
- 問いかけの展開:問い方を変える。課題を変える
僕が特に気になったのは「オズボーンのチェックリスト」
アイデアに煮詰まった時や抜け漏れを感じた時に、ワードに応じて発想の展開・転換を狙うためのリストだ。
デザインに限らず、基本的に出すアイデアが少数で煮詰まりやすいタイプだし、同僚さんと話していた時から改めて気になっていた。
◆ オズボーンのチェックリスト
「転用したら?」→ 新しい使い道、考え方は?
「応用したら?」→ 似ているものはないか?工夫してみたら?
「変更したら?」→ 意味、色、動き、考え方を変えたら?
「拡大したら?」→ 大きくする、誇張する、頻度を増やしたら?
「縮小したら?」→ 小さくする、しぼる、短時間にしたら?
「代用したら?」→ 代わりになるものは?人は?環境は?
「置換したら?」→ 入れ替えるとどうなる?
「逆転したら?」→ 逆さまにしたら?役割を変えてみたら?
「結合したら?」→ 他のものと合体したらどうなる?
また「考具」では「マンダラ」が2箇所出てくる。
どちらも使い方は同じだが、前半はアイデアの展開、後半は企画として収束させることを目的としている。
前半は、以前紹介した「インプット大全」の単語版。
ひとつの対象に大して、思ったことや特徴を書いて気になったら具体化をしていく。
対して、後半はWHO、WHY、WHAT、WHERE、WHENなどを書き連ね、可視化を行ってから具体的な姿を作り込むための支援ツール的な存在だった。
拡げて、まとめる
数々の企画やアイデアの出し方が紹介されている「考具」だけど、大事なことは2つの考え方にまとまる。
拡げて、まとめる、ということ。
紹介されている「考具」のほとんどは、アイデアの「拡げ方」と「まとめ方」をどのように行っていくかの手法がまとまっていると言って良い。
拡げ方、まとめ方として有用なものは人それぞれで、自分にマッチした考具がわかれば、この本は完読する必要はない、ということ。
※逆に、文章が口語的なものが多いので、しっかり読みすぎるとあんまり頭に入って来ないかも。僕は入りづらかった。
デザイナーは「喧嘩師」であれ。
「考具」では、アイデアや企画の思考を学ぶ本だけど様々な箇所でデザインの話とデザイナーが登場する。
特に第1章の「『わがまま→思いやり』のステップを踏んでデザインする」で登場するデザインディレクターの川崎和男さんの言葉が中々過激。
「デザイナーは喧嘩師であれ」
という言葉が登場するくらい。
ただ、これはもちろん例え。
何故こういう言い回しなのかと言えば、
「最初に自分自身がああしたい、こうしたいという欲求からデザインが始まるんだ」
と。
「わがままと思いやり」は企画にも、
デザインにも通づる。
今、目の前にある課題に対して、あなた自身はどう思うのか。
その自分が思ったことがわがまま(我が思うまま)で、それがデザインの原動力なのだと。
現代のアイデア出しや企画会議は、最初から周りや環境、状況がなどの条件づけから始まることが多くなってきていて、これこそがアイデアを止める引き金となっている。
だからこそ、まずは「わがまま」で良いと。
「わがまま」を「思いやり」によってクオリティアップする。
わがままという自分事化された原動力を汎用性で形どっていく。
まず自分の思いがあって、その思いを社会に適合させていくという順序が大切だと。
正直、ビジネス側の無茶な企画にデザイナーの僕が頭を悩ませたり、時に苛立ちを覚えることもあったけど、
企画の立案方法として今回「考具」で学んだ「わがままと思いやり」の考え方をしていけば、企画側の気持ちにもたてるし、自分自身の立案側になったりして、良い同調が出来るのかなと感じた。
2回目の「考具」だったけど、1回目とは違う味わい方や気付きができた。