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ゴミ屑と化す「インプット」とは?

モンブランです。

先日、僭越ながらSchooで「#inputDesign」という授業のMCをさせていただきました。

前回の授業から1年、またこの空間にお邪魔できたことが嬉しかったです。

もちろん、人生初MCです。イラストでの出演も含め、Schooさんには毎回新たな挑戦に巻き込んでいただけて重ねて嬉しい限りです(Schooさん側もゲストの方にMCを担当させるのは今回の放送が初めてとのことでした)

今回は自分の最近インプットしたことについてや視聴者さんのインプットについて共有していただきディスカッションなどをしました。(そのお話はまた別のnoteで)

今回はこの30分の中で思ったことや終了後に噛み砕いていったことなどを書いていきたいと思います。


謎の着眼点

インプットで難しい。

読んだはずの本やブログの記事が次の日には「あれ?どんな内容だったっけ?」というレベルでインプットしたはずのことがすっぽ抜けていっていしまうことを常に悩んでいるし、劣等感すら感じている。

だからこそ、インプットとアウトプットの循環が気になったりすることもあるのかもしれないけれど。

そんな中、今回Schooで話したことは「インプットは気付きを付与して身につける」といった考え方をした。

僕は「変な着眼点」を持っているらしく。

SODのパッケージデザイナーになろうと決めたのも、TSUTAYAのアダルトコーナーのジャケットをしっかり観察したのがきっかけだったりする。
(逆に言うと、誰でも気付いてそうなことに気づいてないこともしばしば)


「観察」して「気付き」を得る。

何かを観察をして気付きを得る。
これはインプットをする際の重要な過程だと思っている。

電車の中吊り広告は、当時の僕にとってはインプットの宝庫だった。

フォント、行間、写真のビジュアル、「XXらしさ」の演出、ホワイトスペース、色彩、トンマナ。

もちろん、AVのジャケットもだ。
AVのジャケット、特に企画モノはその時の流行しているモノや人を軽率にオマージュする。つまり、その「らしさ」をジャケットのトンマナに散りばめる。
それと並行して、AVジャケットらしい文字詰めや写真のレイアウトはセオリーがある。それらがバランス良く配置しているジャケットなどを観察して「こうやってレイアウトするのか」という気付きをインプットとしていた。
(作業しながらの気付きも結構多い)

僕はこうした「気付き」を得たものに対しての記憶力が高い(という気付きがあった)

インプットしても頭に入っていない感覚がある人は、普段のインプット量を敢えて減らして観察による気付きを得る時間を増やしても良いかもしれない。


アウトプットは「インプットの反復」

気付きを得るのと同等くらいに大事にしているのは「反復」だ。

記憶力が乏しい僕にとっては、気付きを得るまでに至ってないインプットはどうすれば良いのかといえば、反復をするか、あるいはその機会を作っておくことにある。

反復はよくお話させていただく「軽率にアウトプット」だ。

ツイートでも良い。とにかく、自分がインプットした、しようとしているコンテンツに自身の気付きや感想をつけて短いアウトプットをする。

アウトプットをしようとすると、記事の内容を引用したり確認しようとする。これが一種のインプットの反復になる。
アウトプットの質量が少ないと反復の量は同様に少ない状態だ。これがツイートではなく、こういったnoteでの質量のあるアウトプットをすれば、インプットの反復は比例して膨大になる。
書くことで、気付きも得ることができたら、それはもう一石二鳥だ。


デッサンの真髄

デッサンは「絵がうまくなる」と思われているが、これはまったく違う(と思っている)(美術部にいた高校生の時は僕もそう思っていたけれど)

デッサンの真髄は「観察力」と「インプットとアウトプットの反復力」のバルクアップだ。

鉛筆一本を使って書くデッサン。
ひとつのツールを使って色彩や陰影のある物体や人物を描くには鉛筆の濃度や線を利用することになる。その時に必要となるのが「観察」だ。

また、デッサンは一球入魂ではなく、たくさん行っていくことで、より観察力やそれをアウトプットする精度やスピードを高めていく。「反復」だ。

デッサンやスケッチはインプットとアウトプットを養うトレーニングとしてかなり優れている。
僕も今はデッサンをしていないが、今もデザイナーとしてご飯を食べることができているのは高校生の時のデッサンが大きくないとはいえ、観察力やインプット・アウトプットに対しての地味に広い土台にはなっているのだな、と今になって感じている。

(ただ、当時の美術部の顧問からも「モンブラン君は必要以上に影をつけるところがあるわね!」と言われていたので、変な着眼点が身についてしまったのはもっと昔なのかもしれない笑)


「ふーん」からゴミ屑が生まれる?

「観察」「気付き」「反復」がインプットにとって重要な要素と書いてきたが、逆に言うと、眺めるだけ眺めて「ふーん」「そっか」くらいの反応しか得ることがないインプットを多数している人は地味に危ない。

もちろん、人の脳みその記憶領域には個体差があるので、そのくらいの粒度でもはちゃめちゃにインプットをしている人もいると思うけど、僕も少なくとも流し見ただけのnoteやデザイン記事は漏れなく忘れている。地味につら〜。
(こういう時、引き出しが多くてすぐに取り出せる記憶領域がやばいデザイナーさんに嫉妬してしまう…笑)

だからこそ、「ふーん」が「なるほど」「うんうん」に転換できるような、自分の記憶に「気付き」というフックをかけるか、反復という何枚ものインプットのスタックをするように心がけたい。


自分の脳みそに、静かに「ゴミ」が溜まる

僕は自分での手持ちとしている「デザイン」の分野がけっこう広い(広くなってしまっている)
紙媒体、WEB、UIUX、映像、ブランディングなどなど。面白そうだな〜と手を突っ込みながら広くしていった分、油断していると全部のインプットが「なんだかわからないゴミの集まり」みたいになってしまう。

だからこそ、肝となるインプットから気付きを得たり、反復をするようにしないと、自分の脳みその中で静かに「ゴミ」を作り出していってしまうので、本当に、本当に気をつけていきたい。



おっぱい。

飼っている猫さんやインプットのための読書代などに使います!