見出し画像

「センスないね」という言葉に呪われるな。

このnoteでの「センス」は、主にデザインにおけるセンスを中心としています。

「お前、センスがないよね」

という言葉が苦手だ。確かに、誰からも言われたくない言葉ではある。ただ、これは指摘や悪口、批判という意味合いという意味ではなくて、

「センス良いよね!」

という言葉も得意ではない。褒め言葉として嬉しくもあるけど、かといって最高のものでもない。


「センスがない」は存在しない

画像1

自分がいるとする。
センスというものは物理体ではない。そのため「センスがない」と自認するには、必ず相手が必要となる。
つまり「自分にセンスがない」という気付きを得るには、相手からのリアクションが必要になる。

相手からのリアクションが必要ということは、自分からのアクションが必要である。相手に、仮としてセンスの良し悪しの選択をさせるために、こちらからセンスの良し悪しを決める評価物を掲示する。つまり、センスの良し悪しの対象物を見せようとしている時点で、どちらかに必ずセンスが存在しているということになる。

めっちゃ揚げ足とりみたいな感じになってしまっているが、要は「センスがない」というのは常に相手が存在しないと発生しない言葉であり、そのセンスは相手に依存するわけである。


ないものに「ない」とは言えない。

画像7

じゃあ「センスがない」という言葉が何故生まれるのか。

例えば、あなたがあるデザイン案を作成するとしよう。
まずデザインのアイデアを考えたり、参考となる資料などを探すと思う。そういったものアイデアの集団を頭の中、もしくは乱雑なラフスケッチから取捨選択していくと思う。

この探して、見つけたものを、選びあげ決定していくことがセンスの種で、それを言葉であれ制作物、成果などのアウトプットものに「あなたのセンス」が宿るわけだ。
これがあなたのセンスなのだと思う。


センスは「ナマ物」

画像6

発信側が存在すれば、必ず受信側が存在する。
そして、受信側にも生きてきた中で見知ってり、経験したことに基づくその人 特有のセンスが存在する。

これがデザインの場合になると「ユーザーのセンスを想像した、その人の思考に基づいたセンス」にもなったりする(それが必ずしもユーザーのセンスとは限らない)

この2つ、あるいは複数の受信側のセンスと発信側のセンスがぶつかるわけだ。だからこそ、発信側がO、受信側にA・B、その先の大衆をXとすると、以下のようになる。

Oのアウトプットに対し、

- A、B、X共に良いリアクション
  →O、A、B、共にセンスが良い

- Aは良い印象、Bが悪い印象、大衆Xには良い印象だった
  →Bのセンスがない

- A、B、共に悪い印象だったが、大衆Xには良い印象という結果
  →A、Bのセンスがない
etc…

つまり、AやBが発する「Oにセンスがない」というFBはBそのものセンスに基づいたものであって、それが大衆Xに対してのセンスと必ずしも合致するわけではない、ということだ。

これは大衆Xが着地点になっている場合というだけであって、この着地点がBになるだけで、Oが作成するアウトプットのセンスが大きく変わっていくことになる。

画像8

また、大衆Xは個人ではないので、政治背景や時代の流行によってセンスの軸が大きく変わってくる。

こうなってくると、センスは「ナマ物」と言っても良いかもしれない。


センスをお花畑のように育てたい

画像2

じゃあ、個人間、政治、流行がめまぐるしく変わる中で、センスを育むにはどうすれば良いのか。
すごい主観だけど、私はお花畑で例えてみる。

蒔いた種に水を撒いたり、肥料を与えたり、あなたなりの育て方(あるいは誰から教わるのか)で種から芽が出て育っていく。
そうして、咲いた花が「あなたのセンス」になっていく。

もちろん、センスの花は一輪だけではなくて、あなたのプランターの中に、あなたが良いと選んだ水によって育った「服」「デザイン」「趣味」といった様々な「センスの花」が鮮やかに育っている。

このプランターを誰かが見にくる。
見にくる人も自分たちの花たちを育てたり、他の人の花畑を見てきたりしているから、あなたの花畑への「印象」が生まれる。

画像9

あなたのその花、そしてそのお花の積み方というアウトプットが、その人から、大衆からどう見られるのか、どう感じるのか。
こういったフィードバックが相手から見たあなたのセンスになるということだ。

(余談だけど、以前のnoteで書いた「センス残高」はここでいう「花そのものの数」にあたるのかも)


もし「真のセンスない」があるのだとしたら

画像3

じゃあ、仮に本当に「センスがない」ということがあるとすれば、なんだろうか。

先程の花畑で言えば「更地」であると思う。
まだ花が咲いていない、という状況ではない。咲く前のセンスの青葉や蕾に反応する人もいる。

更地、というのはつまり、種から何も育てていない状態。極論で言うとセンスがない、というより知らない状態に近い。
(ただ、何かしらの状態で苗を使っていきなり花が咲く、とかもあるかもしれない)


あなたにとっての「良い」と「悪い」を選んでいく

画像4

ちょっと比喩が過ぎてしまったけど、
要は、あなたにとっての「これは良い」と「これは悪い」の価値観を見つけておくことが大事だと思う。

「この花はキレイだな。好きだな。」「このドラム缶の汚れ。好きだな」「そういう色合いは苦手だな」

といったことを自分のものとして大事にしておく。これを繰り返していくことで「あなたのセンス」が育まれていく。

例えば、その「あなたのセンス」を「良い」と思ってもらうとすれば、あなたの選び方で、それを話したり、感想として、アウトプットをしてみる。そのアウトプットをして、した人やまわりの印象がどう思うのかを見てみる。
仮にそこで拒絶されたとしても、それは「状況」「対象」などの様々な理由で合っていないだけであって、センスがないわけではない。

そういった意味で、センスというのは感性や感覚であったとしても、それの作り方は知識などのインプットの取り込み方と活かし方、そして、それを当人がどう反芻、利用するかであって、生まれ持ったものではない、ということだ。

逆に言えば、センスがない人はこの取り込み方や利用の仕方をできない人、かもしれない。


「センス」という言葉に真摯に向き合う

画像5

「センスがない」「センス良い」という言葉が飛び交うのは、何についてのセンスが良いのか、どの点がセンスが良いのかと、センスの中身が抽象化されている、あるいは、発した本人でもセンスの具体化ができていない(もしくはそれらを意図的に隠しているか)ということが考えられる。

だからこそ、どこにその人にとってのセンスを感じたのか、

私自身も「センス」という言葉に逃げ隠れないように、ちゃんと具体的に良いところ、悪い所や、相手の着眼点を理解していくようにしていきたい。

そして「センスがない」という言葉は多くのデザイナーにとっては「呪いの言葉」でしかないけど、この言葉だけに面食らわずに、何故そう思われたのかについても真摯に向き合っていきたいお気持ち。


おっぱい。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

猫のプシュケ君のごはん代や書籍などのインプット代に利用させていただきます...! こちらでもお待ちしていまーす! https://note.montblanc.design/m/m3cd45953321e

あざます!めっちゃ励みになります...★
34
渋谷で働くインハウスデザイナー。2010〜2014年頃は某AV業界でデザイナーをしていました。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。