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「できない理由を作り上げる」という無意味さ。

先日、MacやAdobeがないとクリエイターになれないと嘆いているが、そんなことないんだぞツイートが散見していて、個人的な考えをツイートをしたところ、結構反響をもらったのと、このツイートの前に書いた「出来ない理由」のこととリンクする所があったので、noteに書いてみたいと思います。

MacやAdobeは手段でしかない

これに尽きる。

ちなみに僕のツイッタタイムライン上で見かけた意見はこんな感じです。

・良い服を買うお金を使って買えば良き
・自己投資として借金してでも揃える

わかります。めっちゃわかる。
そして僕の場合は

・MacやAdobeに固執するなよ

です。

Windowsでデザインしている方だってめっちゃいる(むしろ最近増えてきた)し、gimpや、最近はオープンソースのデザインツールも増えてきたところで少なくとも、クリエイターになるきっかけ作りにはめちゃ良い世の中になったと思うのです。

MacやAdobeが必要になるのは、仕事とかのやり取りの時の互換性だったり、共通化とかで必要になってくると思う。
僕は会社員デザイナーなので、クリエイターとは言いきれない所もあるけど、クリエイターは逆に何を使ってでもなれるので、わざわざツールを限定する必要はないんじゃないかなぁと思っています。

むしろこの時代にあえてツールからの離れ、ゴリゴリのアナログでものを作りだすのもクリエイターらしい感、あると思います。

できない理由を並べるのは「だいぶ愚か」です。

この話、ツイッタでもクリエイターはこうあるべきなんや!とかツール云々、投資云々など色々な意見がありますが、僕はここら辺どうでも良くて。

1番まじかぁと思うのは「自分でできない理由」を作り上げていることなんですよね。

これってデザイン、クリエイターに限らず、事業や生き方にも言えることで。
個人的に考えていることを書くと、

◆できない理由より、できる理由を考えろ
マインドの問題。文脈的にはかなり無理なことを言っているのですが、理屈として、言葉の通りでどうすれば出来るのかというのを考える、ということ。
できない理由より、できる方法を考えろ
これは、上の理由を「手段」で考える、ということ。よくビジネスの格言などに使われますね。できない理由に向き合って、それを多角的にどう実現させるか、という考え方
◆できない理由より、やらない理由を持つ
Bは、端的に言えばできないなら、やらないと決断するということ。
できないのであれば、できない理由が生まれた原因や事象そのものをどう回避するのか、それとも誰かに任せるのか、どう行動して決断するか、という意味合いです。

それぞれ、考え方や解決する方法は違いますが、
共通していることは「できない理由(言い訳)は停滞でしかない」ということ。

できない理由、つまり言い訳はその場が前進する気がない、ということであって、何も生まれないんですよね。

いつまで手を止めてんの?

今回のMacやAdobe云々の件についても

- 良い服を買うお金を使って買えば良き
 → 買うという行動している

- 自己投資として借金してでも揃える
 →
買うという行動している
- MacやAdobeに固執するなよ
 → 別の手段を講じるという、行動している

と、行動に移すこと提唱していることに対し、この意見が出るきっかけになっていることは、

- 高いからという理由でMacやAdobeを買えない→クリエイターになれない
 → 行動していない(思考の停止)

なわけで。

「なにかにつけて〇〇ができない」と言うのは大いに結構ですが、
だからどうした。

買うにしろ打開策を考えるにしろ、行動をしない限り何も生まれないし、この打開策などを創造して行動できる人こそ、クリエイターなのではないかな、と思います。
行動自体は決して難しいことではないので。

今でこそ、AdobeやMacがありますが、昔のクリエイターは「手」から創造をしているんです。手から生み出せるんなら、AdobeやMacなんて手段のひとつなんです。

手を動かして、考えて、行動するのが、作り手だと思うのです。

とはいえ、仕事や事業をしていると「懸念事項」や「警戒」をしていると、つい「出来ない理由」が並びだしたりしてしまうこともあるので、気をつけていかないとな、と思った。


おっぱい。

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